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遊心流の源流2

 私が遊心流武術健身法と名乗って指導し始めたのは、指導する中で技と術理の研究をする意味合いがありました。

 有り難かったのは、いろんな流儀の経験者が参加してくれたことです。

 伝統空手(剛柔・松濤館・松濤会・和道・糸東)、フルコン空手(極真・芦原・大道・無門会)、柔道、少林寺拳法、合気道、大東流、八光流、天心流、柳生心眼流、総合格闘技、ボクシング、キックボクシング、JKD、中国武術、居合道、剣道、躰道、新体道、日本拳法、サンボ、グレーシー柔術・・・等々。

 特にセミナーに参加される方は多彩でした。教えているのはこちらですが、懇親会の時に、その門下でなければ知り得ないような、いろんな貴重な情報を得ることができて、必然的にいろんな流儀の裏事情に詳しくなっていきました。

 純粋に武道武術格闘技が好きで、知らない技を学んでいく楽しさを知る者同士で話をすることは(オタク的で気持ちが悪いというストイックな方もいるとは思いますが)、時間がたつのも忘れてしまう至福の時間です。セミナーは3時間ですが、懇親会は毎度3時間4時間は経過してしまいます。

 無論、参加されている方のほとんどは自身の学んだ流儀に愛着があり、学んだ師範を尊敬されていますし、中には、「道場の先生に薦められて参加しました」と言う人さえいらして、「何て心の広い研究熱心な師範なんだろう」と、驚かされたこともあります。

 弟子を見れば師が解ると言いますが、残念ながら、同じ流儀、同じ師範の弟子に問題があるケースも少なくありません。それは指導法や躾に問題があるのだろうと思いますし、私も注意していかなければならないと思っています。

 武道武術の業界は、心の狭~い人が物凄く多くて、正直言って、私は極力、付き合いたくありません。妙な縄張り意識が強くて、言ってみればヤクザの親分みたいな人が多いものです。

 カリスマ的な武道家がいなくなると、途端に組織が細胞分裂していくような例は腐るほどあります。皆、親分になりたがる。

 そして、“俺、最強!”みたいな俺様意識がどこまでも肥大した人格が破綻しているような自称武術家?がウヨウヨしている・・・。

 こんな具合に、長くこの業界?で活動していると、武術家と名乗るような人達は気持ちが悪くて近寄りたくなくなっていくのです。

 やっぱり、自分の弱さ、欠点、足りない部分を自覚しているから向上を求めて修行する訳ですし、“自分の強さをいかに人に印象付けるか”ということしか考えないような人間は、もう、修行者とは言えないと思うんですね。

 だから、習いに来たのか腕試しがしたいのか何なのか、さっぱり判らないような人間は、できるだけ排除するようにしています。いろんな意味でそんな人間が一人いるだけで迷惑だからです。

 腕試しがしたいんだったら、そう言えばいいんですよ。すぐ警察呼びますからね。

 悪質な嫌がらせする人とかもいましたが、私はすぐに地元の警察署に届け出ていますから、その被害届けの有無によって、嫌がらせしている当人が警察のブラックリストに載ることになる訳で、次におかしな真似したら自分の首を絞めることになる。

 今の御時世、出来心が許される時代じゃありません。

 わざわざネットに犯罪予告するバカいるじゃないですか? イタズラじゃ済みませんからね。ネットの世界は誰が見るか判らない公共性がある訳で、一般的に犯罪を問われる行為をほのめかせば、それだけでしょっぴかれるのは当然なんですよ。

 中には物書きのプロでも弁えていない人がいますけど、所詮、人間だということです。

 だから、うちに来た人の中で問題があると判断した人は全て記録しています。そんな人は、他所の団体でも問題を起こしている確率が高くて、「あ~、長野さんのところにも来ましたか?」とか、業界の付き合いの中で笑い話になったりするのです。

 問題を起こす人は一回では済まないようで、何回でも同じ過ちを繰り返すのが特徴ですね。自省心と自制心がないんでしょうね。

 勘違いしてはいけないのは、忠告してくれる人は味方だということで、感謝すべきなんですね。敵視する人は何も言わずに陰で悪い噂を流したり、陥れようとしたりするものなんです。悪質な人間だと味方のフリをしながら悪さをしたりしますからね。

 でも、そういう人が問題起こし続けていると、ある日、臨界点を突破して、いきなり捕まる場合もある訳ですから、日々、人に迷惑をかけないように生活するのは護身の心得でもあります。

 もっとも、武術やっているヤツに限って、判ってないように思えるんですが・・・。


 武道や格闘技に関心のない人達って、実は非常にまっとうな感覚の人間ですよ。

 せいぜい、野球やサッカー、バスケットボール見て熱中する・・・そのくらいの闘争本能が社会人としてはちょうどいいんですよ。

 私は、K-1や総合格闘技の試合を興奮してキャアキャア言って見てるアイドルとか女優とかとはお付き合いしたくないな~と思いますね。普通、女はそんな闘争本能強くないでしょ?

 武術や武道は、本質的には他人と腕試しすることを目的にはしていないものです。

 何故なら、技の目的が“殺敵”だからです。“殺敵”の技能があってこそ、傷つけずに制圧する“制敵”が可能になります。その逆はあり得ません。

 護身術と言うと途端に馬鹿にする人が武道や格闘技実践者には少なくありません。そんなものは弱い人間が身を護るための逆手や急所攻撃の技しかないと思い込んでいるのでしょうが、“自分は強い”と思っている時点でダメですね。

 しかし、本当に護身を考えれば、それは本質的に暴漢を一瞬で抹殺できる技能が必要になります。強いとか弱いとかもまったく無関係です。

“どんなことをしても敵を抹殺する”という技能が護身術の本質です。

 そして、その技能があってこそ、「敵を傷つけずに制圧して自分も罪に問われない」という護身術の理想形が実現できます。

 しかし、武道や格闘技をやっている人にこんな認識はほとんど無いでしょう。

 それどころか、対ナイフ、対ピストル、対散弾銃、対複数・・・といった現実に発生している事件への対処法すら考えないのですから、平和ボケもいいところです。

 要するに危機意識が麻痺しているのです。「俺は強い」という思い込みがあるから、命の危険が迫っても、その危険度を測れないのでしょう。

 でも、ちょっと考えれば誰だって判ることですが、何の訓練もしたことのない者が無差別殺人をしようと決意したらどうするでしょうか? ナイフや包丁を買うでしょうね。

 あるいは硫酸や塩酸を用意するかもしれません。

 無許可で買えるボーガンやスリングショット、アーチェリーのような殺傷力のある遊具もありますし、鉄パイプや金属バット、木刀、ヌンチャク、チェーン、ドライバー、金づち、カミソリ・・・殺傷力のある物なんか周囲にいくらでもあります。

 何の訓練もしたことのない人間が人を殺傷しようと本気で思えば、間違いなく武装します。そして、武装した素人が相手でも、武道や格闘技の専門家が無傷で取り押さえるのは案外に難しく、逆に素人暴漢のナイフで殺された例も少なくないのです。

 武道や格闘技の最大の弱点は、ルールで限定された試合を戦いの全体像と錯覚しがちなことです。これは専門家ほど誤解してしまいがちです。

 私が、そういったルールに規定された武道や格闘技を選ばなかったのは、スポーツ競技に関心がなかったからです。

 私は中学時代のイジメ経験を契機に武術を始めました。これは何度も書いてきたので繰り返しませんが、だから、護身術としての武術にしか関心がないのです。

 自分の力を見せびらかして威張ったり威圧したりする姿の何とも言えない情けなさ。

 コンプレックスが透けて見えるんです。あるいは、そのコンプレックスすら自覚できなくなっている阿呆も多い。


 私が求める武術は、こんな阿呆には教えたくありません。

 自惚れた時点で即刻、破門!

 実際、破門を言い渡した人間は全員、自惚れてしまっていました。

 厳しいと思うかもしれませんけど、これは本人のためですよ。本当に戦いの本質を考えていたら、絶対に自惚れられるものではありません。

 素人のナイフや拳銃で命を落とした武道家や格闘家が教えてくれるのは、「油断は墓穴を掘る」という教えです。

 自惚れて戦いに臨めば油断して大怪我したり死んだりする危険があります。だから、自惚れたら破門にする訳です。

 武術は他人と技量を競うことを目的にはしていません。が、戦わねばならない時には絶対に敵を抹殺する覚悟で戦わねばなりません。

 私が研究し追究しているのは、そのための技・術・理合であって、だからこそ、かつての伝統的武術がそうであったように、拳法体術・剣術・居合術・棒術・槍術・薙刀術・手裏剣術・・・といった武術技法を総合的に研鑽していこうとしている訳です。

 けれども、それだけでは過去の遺物の復興にしかならない。現代で武術を追究する意味は、健身法も必要ですし、銃や化学兵器の知識も必要でしょうし、法律の勉強も必要になるだろうと思います。

 武術の身体操作に世間の注目が集まったように、今後は武術の総合研究が社会的に役立つような応用性を確立して提示していかねばならないとも思っています。

 そういう様々な観点から武術を検討した時に、現代で最も武術の可能性を多岐に渡って示して見せたのは、“新体道”だろうと思っています。

 新体道は、空手・合気・日本剣術の理合で構築された前衛的武術です。ほとんど知られてはいませんが、実は棒術をはじめ、杖術・剣術・琉球古武術・手裏剣術などをも総合的に研究されていて、現代武道の行き着いた一つの頂点と言っても過言ではありません。

 けれども、殺法を極めたからこそ、活人の技として世の中に広めていこうとして、「武道から生まれたボディアート」というカテゴライズに区分されることを敢えて否定せず、抽象化された思想的芸術的身体訓練法として普及されました。

 そういう次第なので、新体道は武術という観点からきちんと評価されることは、これまでほぼ皆無と言っても良かったくらい、評価の俎上にすら乗せられませんでした。

 載せたとしても、「遠当ては嘘か本当か?」というキワモノ扱いされるばかり。具体的な技術論が検討されたことは私が知る限り、一度もなかったと思います。

 一つには、これはもう言葉であれこれと語って理解できる水準ではなくなっているという点が理由になっており、言葉を拒否して体験する中で悟るべきヨーガや気功にも似た瞑想的な体技として認知されていったのです。

 私は縁があって、新体道の内部事情を知る機会に恵まれました。知れば知るほど、新体道がまぎれもない武術としての本質を持つものであることを確信していったのです。

 が、私は新体道の会員にもなっておらず、専門に学んだ者ではありませんから、おのずと遠慮すべきところがある。

「武術的に、ここがこうなんだ」と細かく解説することはできますが、それを私がやって良いものだろうか?という逡巡が常にあるのです。


 そして、もう一つ、現代の武術の在り方に大きな示唆を与えた流派として、戸隠流忍法があります。

 戸隠流の初見先生は、新体道の青木先生と、どこか似た雰囲気を感じます。

 どちらも型破り。従来の武道だの武術だのの枠組みを突破している人に思えます。

 それは技術論で語れば、技の形から自由になって自在に技を駆使できるという点にあります。

 新体道は極度に抽象化されていますが、戸隠流忍法は一度、型から技を分離させ、その場その場で再統合して用いるという離れ業を確立しています。

 私の作った遊心流の基本になっているのは、恐らく、戸隠流忍法のシステムです。

 個々の技は中国武術の影響が強いのですが、交叉法を使って技をアドリブで再統合していく戦闘法は、戸隠流忍法の影響が強いでしょう。

 また、技という点では拳正道、芦原空手の影響もあります。

 直に習ってはいませんが、田中光四郎先生の体術や友寄隆一郎先生の武術理論も大きな影響があると思います。

 源流を考えると、実際に習ったことがなくとも本やビデオ・DVDで技を貪欲に吸収してきた経緯があるので、それらも無視する訳にはいかないと思います。

 が、そうやっていくと、あまりにも膨大になってしまうので、解説することそのものが煩雑に過ぎるでしょう。

 そして、遊心流は、今後もどんどん発展させ変化していくでしょう。事実、ここ数カ月だけでも相当に変わってきていると思います。教えながら技を開発している感覚があるのです。

 一年後なら、そんなに変わっていないかもしれません。が、十年後は自分でも想像つきません。

 私が求めているのが、「日々、進化していく武術」だからです。

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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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