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最近の定期練習

 日曜日の定期稽古会も、最近はもっぱら雨との戦いです。

 公園の中央にある築山の東屋が、唯一、雨をしのげる場所。八畳くらいの広さに木製の腰掛けが八つ。数人で立禅や推手くらいなら、ここでも練習できます。

 多少の雨の場合はここで練習したりするんですが、この前は朝から結構雨が降っていたにも拘わらず、腕組みして座っているオッサンがいたりして、「こんな雨の日にまで公園に来るのか?」と、自分たちのことはさておいて、思いました・・・。

 さて、今週は、また試合に出る会員さん向けに試合に使える技の研究をしました。

 形意拳の基本母拳“五行拳”の更に基本となる劈拳の使い方。

 これは、太気拳の岩間統正先生が得意技にされていましたし、私が形意拳を習った先生方のいずれも大切にされていらっしゃいましたので、自分でも随分、研究しました。

 結果、うちの基礎錬体・第二試力の縦試力の錬法で養成する骨盤の縦回転の動きで背骨をしならせるように伸縮させて打ち下ろす打法の実用法の典型例として、劈拳の用法を説明することが多かったものです。

 ちなみに、この身法に関しては、形意拳系統以外では通背拳にも見られますし、同様の身体運用では日本刀の真直斬りもこれに相当します。

“劈”というのは、斧や鉈でザクッ!と斬り込むという意味なんだそうです。上から下に向かって斬るようにするため、腹圧を圧縮する動きになり、高い威力が出るとされ、使いこなせるようになるといろんな応用打法も使えます。

 私は、打ち方(打撃訣)も工夫して打つポイントや力の作用のさせ方でダメージを激増させるやり方も工夫しました。が、これは危険過ぎるので公表は控えます。

 うちの場合は流派の比較研究を普通にやっているので、こうしたいろんな流派の動きの共通点や違いについても発見することが日常的になっています。

 なので、劈拳の前段で差し手したところから、場合によっては八極拳の頂肘に変化したり、そのまま体の合気みたいに発勁してふっ飛ばしたりすることも可能になります。

 結局は、“~流が最高”などという発想そのものが井の中の蛙でしかないと私は確信して微塵も疑わないのです。

 できる人は何流でもいるし、また、できない人もいる。技を深めるかどうかは個人の探究度によるものです。できる人とできない人では同じ流派でもまったく別物に見えるものなのです。探究心の足りない人は、どんな優れていると言われる流派を学んでもダメでしょう。

 自分の修行する流派こそが実戦的で他流は弱い・使えないと論難する人は、自身の無知蒙昧さをアピールしているに等しいのです。

 それに、“実戦的”という言葉も、使い古されて抽象的になり過ぎていますね。

 私は、“実戦的武道”を標榜している人達が、何故、一対一の素手でルールのある試合しかやらないのか、どうにも理解できません。

 普通にストリートファイトでそんな状況の方が珍しいでしょうし、酔っ払いにからまれた程度で一々顔面パンチしたりしますか? そんなの弱い者イジメではないですか?

 冷静に判断すれば、武道家の考える“実戦”というのは少しも現実的ではない場合がほとんどなんですよ。今時、素手で殴り合いする実戦イメージなんか頭に浮かぶのは梶原一騎原作の劇画世代(40代以上)くらいしかいないでしょう。

 私が、「実戦の時は刀でも手裏剣でも使う」と言えば、「長野はあぶないヤツだ。武器を使うなんて卑怯だし臆病者だ」なんてよく言われるのですが、「ナイフや鉄パイプ、木刀、金属バットなどで武装した多数の人間に襲われるのが実戦の基本形」だと私は考えているので、素手で対処しようなんて甘いことを考える人は阿呆だとしか思えません。

 夕焼け番長ノスタルジーに浸っているオッサン世代は、武装して複数で囲んでボコボコにすることに良心の呵責を感じない世代を劇画のヒーローが素手で制圧する空想に浸って寝ぼけているだけですよ。

 相手が素手でも三人に囲まれたら、そうそう簡単に制圧できるもんじゃないですよ。ましてや武装していたら素手で立ち向かえる道理はありません。一対一で闘うことに慣れていたら、まず囲まれてやられてしまうでしょう。実験してみたら、すぐ判りますよ。

 もっとも、私自身は、痴漢や酔っ払い、暴漢に遭遇した時は、これまでほとんど武術の技を使わずに済ましてきました。

 何故なら、殴り合いにまで発展させなかったからです。

 殺意をもって襲撃してくる相手か、そうでない相手かの区別もつけずに「敵は抹殺」みたいな単細胞な考え方をしますか? 状況に応じて適切な対処法をするのが武術の想定する“実戦”です。口八丁で煙に巻く話術の方がよほど役立ちますよ。

 私が小島一志さんに疑問を感じるのは、彼はヤクザとの繋がりをほのめかしたり、空手の技を“脅し”に使うようなことばかり文章に書きますよね?

 仮にも武道を修行し、武道についての本を世の中に送り出している人間として、あまりにも軽率で品が無い。江戸時代だったら、とっくに誰かに叩っ斬られているでしょう。

 私は、メディアに携わる者に批判精神は必要不可欠だと思っています。その点で小島さんを責めるつもりはまったくありません。

 ですが、やり方がおかしい。

 吉田豪さんが最初にゴン格で指摘したのは、そのことだったのであり、反論どころか脅しを書くなんて、小島さんには品性に問題があり過ぎますよね。

 もっとも、彼のブログを読むと、基本的に自省心が甚だしく欠落していて他人の気持ちをさっぱり考えない人間なのが解り、吉田さんも書かれていましたが、私も何だか、可哀想に思えてきたんですね。

 もっとも、そういう人がプロとして情報発信していくのには問題もある訳です。が、職業選択の自由もある。

 よって、「フィクションの作家を目指したらどうか?」と私は書いた訳です。実際、私は読んでいませんが、小島さんは小説も書いていたでしょう? そっちで勝負した方が彼の才能も生きるし周囲の人を傷つけないで済むと思ったんです。

 人間は適材適所ですよ。自分の能力が発揮できて、それが多くの人達に喜ばれる仕事をするのが一番です。フィクションの作家だったら、誇大妄想狂でも何ら問題無いんですからね。


 おっと、また、脱線してしまいましたね~。

 え~、形意拳ともう一つ、試合向けに詠春拳の連続打法も解説しました。至近距離からMP-5サブマシンガンを撃つようにダダダダーッと打ち込めば、相手は反撃の暇もなく体勢が崩れ、そこにトドメのハイキック一発?・・・なんて戦法はどうかな~?と思ったのですが。

 一般に、フルコン空手の試合を見ていると、前手・前足を攻撃に使うことが少ないようです。ボクシングではジャヴをリードブローとして、そのままフィニッシュに用いる人もたまにいますが、フルコン空手では使いこなしている人をほとんど見かけません。

 蹴りもほとんど奥足を腰を回して蹴っていっていますが、これではモーションが大きくて読みのできる人間には通じないでしょう。

 受けて返す、出して受けて返す・・・といった技のリレーをする癖がついてしまって初撃で打ち倒すという観念がなくなってしまっているのでは?と思います。

 交叉法と読みを駆使する武術では、相手が攻撃を出そうとする初撃のタイミングが絶好の迎撃ポイントとなります。決して間合を保ったまま打ち合いしたりはしないのです。

 故に、「何もできずに攻撃した瞬間には一瞬で倒されてしまった。凄い達人だ!」という現象が現れる訳です。

 なので、私は「~先生が空手チャンピオンを一瞬で倒した」みたいな話を聞いても、ちっとも驚きません。交叉法を用いて読みができれば、それができない相手に対して、そういう結果になるのは必然であって不思議でも何でもないからです。

 しかし、交叉法も万能ではありません。読みも、より高いレベルの相手には通じないでしょう。

 無論、私は破り方も研究していますし、欠点を穴埋めする研究も続けています。

 三カ月経過したら、それ以前の技は通じなくなっていると考えてください。武術は常に進化していないと絶対にダメですよ。

 定期稽古会やシダックスの講座でやっている内容は、技の進展と、その破り方、さらにその破り方の防ぎ方、技の欠点の発見と改善法・・・等々、あくまでも現実的実戦状況に即した多面的なものです。

 例えば、小砂利で地面が覆われていて、交叉法で先を取るのに間合を詰めようとして地面を蹴って出ると小砂利で滑ってしまう・・・「足で蹴らずに体幹部から重心を動かして、それに足をくっつけていく・・・そうすると滑らない」と、ここで縮地法の原理的な利点が体感できる。

 実戦を考えれば、地の利や時刻の利についても考えねばなりません。

 夜間の視界の悪いところで襲撃されたらどうするか?とか、狭くて体捌きができない場所だとどうするか?・・・といった具合に考えていなくては、即戦対応はできません。

 武道をやっている人にありがちなのは、一つ、何か重要だと思ったら、そればっかりに固執して他を受け付けなくなることです。

 本当に実戦を考えれば、“臨機応変”。これしかない?ですよ・・・。


追伸;先日のブログでシュマイザーMP38と書いたら、「シュマイザーは間違いではないか?」という匿名の意見をメールされてこられた方がいました。私は、匿名で意見を送るのは相手に対して非常に無礼なことだと認識しておりますので、通常、返事は返しません。また、マニアックなメール交換をする趣味も持ち合わせておりませんから、この御意見は無視させていただきました。ところが、この方はアスペクトに同じ内容の意見を葉書で書いて送ってこられ、またも無記名という非常識さで、無礼にも程があると憤りを感じましたので、コメントしておきます。ちなみに、シュマイザーというのはこの銃の製作者の名前ではなく、通称として広まっているものです。正式にはエルマ・ベルケ社が製作したのでエルマ・ベルケMP38と呼ぶべきとされますが、私のようなオールドファンにはシュマイザーと言った方が通りがよく、このような通称が広まっているのは銃に限ったことではなく、例えば、日本では劈掛掌をヒカショウと呼ぶのが定着していますが、「日本語読みするならヘキカショウと呼ぶべき」と専門誌に書かれたものの、ヒカショウの呼び方は通称として広まっていたので変わりませんでした。功夫という言葉も中国武術マニアはコンフーやグンフー、クンフーと呼ぶのに拘るものの、アメリカ式にカンフーと呼ぶのが普及しているので改まりませんでした。銃の呼び方も、モーゼルがマウザーに、シェイタックがシャイタックに、ワイルディがウィルディに・・・といった具合に拘る人はやたらに拘るものの、それはマニア特有の偏狭な拘りでしかありませんから、間違いとは言えないと認識しています。子犬をチビと呼んでいたらえらいデカくなってしまった・・・なんてこともあります。ですから、私自身は特段に訂正をする必要も感じなかった訳です。それに、この方がマニアックに銃について一家言を持つのであれば、訂正を求める時点で、もっと具体的に「これこれこういう経緯でシュマイザーと呼ぶのは間違いであり、妥当ではない」と、きちんと論理的に書き、自分が何者であるかを明かして意見を送るべきでしょう。匿名で意見するは、論拠も書かないは、出版社にまでわざわざ無記名で葉書を出すは・・・無礼千万!と言わざるを得ません。

 私がやブログに書いている文章は、エンターティンメントとして読者に楽しんでもらいたいと思ってサービス精神で書いているものですし、私自身は割りと礼儀作法は気にするタイプです。直接、メールをされる時は礼儀は弁えていただきたい。どうも、単なるおフザケとユーモアの区別のつかない人が最近は増えているように思えますし、無記名でメールすれば悪意のある悪徳業者か何か?と警戒されるに決まっています。相手がどう思うか?ということを何故、考えないのか?

 意見してくれるのは有り難いことです。が、相手を不快にするだけの文章を平然と書きおくる不心得者がいる。ブログとメールは違うでしょう?

 この方に限ったことではありません。どうにも、まともに他者とコミュニケーションがとれない人がいるものです。例えば、「どこそこの道場や先生を紹介してください」とか、「金がないので無料で教えてくれ(しかも地方在住)」とか言ってくる非常識な人もいます。

 縁もゆかりもない人品も解らない人間を名のある人に紹介できますか? 生活費にもことかく人間が趣味道楽に耽る余裕がありますか?

 私は基本的に道楽者です。が、道楽を通すために人並み以上に苦労してきました。バイト帰りに交通費が無くて海老名から上溝まで歩いて帰ったこともありますし、本当に金が無くて電気も水道も電話も止められて数日、雑草食って飢えを凌いだこともありますよ。

 人間は苦労して得たものしか役立てられません。他人に甘えて自分の享楽に耽ることしか考えない人間は死になさい! 無駄飯食らって長く生きて他人に迷惑をかけるんじゃありません。そして、脳みそ治して生まれ変わってきなさい!

 武術を学ぶことを、何故、「修行する」と言うのか解りますか? 身体を鍛えて心を磨くから修行と呼ぶんですよ。心が磨かれないなら、単なるトレーニングにしかならないんです。それじゃ、トレーニング・ジャンキーです。

 じゃあ、修行して何をするのか? 決まってますよ。世の中に役立つ仕事をするんですよ。世の中に役立って、自分も満足できる仕事・・・それが天職と言うものです。


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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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