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武術修行は心の修行ぞなもし

 7月の月例セミナーでやった“読み”は、皆さん、難しさを痛感しているような感想ばかり頂戴しています。

 でも、これは成功だな・・・と思っています。

“読み”がきちんとできたら、それこそ達人、名人の心境になる訳で、言ってみたら現代の武道の世界でも数人しか達していない水準だと思うんですね。

 そんなレベルのことを「解った」なんて言う人がいたら、“99パーセント、誇大妄想”であると断言できます。

 第一、教えている私自身、自分が“読み”を体得しているなんて到底、言えません。

 私が知る小林先生、友寄先生、青木先生といった“読み”の遣い手の水準からすれば、私のレベルは比較にもなりません。

 でも、ほんの入り口が観えているだけでも、まったく観えていない人の動きは丸観えになる訳で、ガチンコで戦ったら絶対に勝てないだろう相手と手合わせする場合でも、実は不安を感じない場合が多いのです。

 それは、相手が攻撃力を発揮できないように先回りし、更に相手が知らない技を遣えば一方的に制圧できるという戦略をたてるからです。

 この戦略の有無が武術の特徴であって、相手と五分五分の勝負をやるのは、もう武術ではなく、単なる腕試しとしか言えません。

 私は本気で、腕試ししたがる人の気持ちがさっぱり理解できないのですよ。厳密に言えば、真剣勝負というのはどっちか死ぬのが本当でしょう? 死なない前提で真剣勝負だの実戦だの言うのはフェイクですよ。

 だから、私は武道や格闘技の試合はスポーツなんだと弁えて、おかしな実戦論は語るべきじゃないと思いますよ。

 もし、本気で殺す気のある人が相手だったら、腕試しとかできますか?

 普通は逃げますよね? 逃げられない時に仕方なく戦う・・・その最終手段として武術を探究しているので、相手の殺意を圧倒する情容赦のない必殺技を体得していなかったら話にならないでしょう?

 そういうシチュエイションで卑怯もクソもないんですよ。生き残るためには相手を殺すしかない!という場で用いるのが武術の技なんだし、そりゃあ、刃物だって銃だって何だって遣える武器は何でも遣わなきゃ~ダメでしょ?

 小島一志さんみたいに実戦武道がどうのこうのと言うのなら、人の何人か実際に殺した経験が無かったら真剣勝負云々なんて言っちゃダメですよ。それ口にした段階で既に誇大妄想でしょ?

 私は人殺しにはなりたくない(当然!)。だから、「実戦武術教えます」みたいな看板は出せません。

 が、この論理は現時点での日本に住んで武道スポーツが当たり前の時代だから成立している訳です。

 戦闘殺人が当たり前の時代や地域では成立しません。

 武術は実用を本分に生まれたものであって、考案された時点では最先端の戦闘技能体得の教育プログラムだった訳です。

 それは実用を考えているから、そうなった訳です。

 だけど、武道や格闘技を見ていて、あれはスポーツ以外の何物でもなくなっていますでしょう? 人を殺傷するような技術は省かれて安全性に注意を払っています。そのくせ、不合理なトレーニングや無意味な根性主義、視野狭搾の考え方、形式ばかりの虚礼が蔓延してしまっています。

 でもまあ、それはそれでいいんですよ。やりたい人達がやる分には、どうぞ、お好きにおやりください。スポーツ結構。社会体育結構・・・。

 でも、私は興味がない。武術の生み出された原点に立ち返りたい。命を護る乾坤一擲の一瞬の勝負に勝ち残るギリギリのサバイバル術の理に達したい。

 本当の生きるか死ぬかの戦闘に勝ち残る根源的な理を体得したい。

 それが“読み”です。

 だから、「これを追究していけば、現代の武道の世界の到達している水準の上へ行くことができるだろう」と思ってメインの研究テーマにしてきた訳です。

 思えば、私が本当に凄いと思えた先生方は、皆、この“読み”が凄かった訳です。

 突き蹴りの威力が凄いとか、内功が凄いとか、「そんなものはどうでもいい。俺にとっては無価値だ」と思えるくらい、“読み”ができるということが大切なことでした。

 つまり、それが“心法”です。

 身体の動きかどうこうという低レベルな考えで技をどうこうしようとしていても仕方がない。

 何故なら、肉体はどんなに頑張っても時間と共に衰えていくからです。

 反射神経は16歳でピークに達して、およそ25歳くらいまで維持できるとされますが、それ以降は衰える一方だとされます。

 最近はトレーニング理論が発達したお陰で、35歳くらいまでピークを維持できる場合もあるようですが、でも、40歳過ぎて維持するのは無理でしょう。

 そもそも、体力や反射神経のピークを維持して戦おうと考えるのが間違いで、年齢に応じた戦い方を工夫しない者が勝てる道理は無いでしょう。

 体力が無くなれば体力に頼らない技、反射神経が衰えたら反射神経に頼らない戦法を取ればいいだけです。

 ところが、現代の武道や格闘技は、体力と反射神経に頼り過ぎているので、それに変わるものを提示することができないのです。

 何故か?

 簡単な話で、試合ルールに合わせているから身体性をそれに無理やり合わせようとしているからです。

 スポーツとして楽しむ分には、それはそれで構わないと思うのですが、やはり、そこで勝ちたいという気持ちを拭い去ることは難しいのではないでしょうか?

 私自身は、試合ルールで闘って勝つことには興味がないし、そういう場所での自分の強さを求めたいという欲求はありません。

 これは、悟っているからとかいう意味ではなくて、46歳の今、そういう場所でルールに沿った闘い方で勝てるという自信がまったくないからです。

 私はこう見えても異常に負けず嫌いなので、勝てない勝負はしたくありません。もう、どんな汚いことやっても絶対に勝ってやる・・・という異常な精神構造なんですね。

 必要とあらば、私は暴漢の腕や脚を叩き折ることに何の躊躇もしないと思いますよ。そういう冷酷さが自分の本性だという自覚があります。

 だから、勝てる確信のない勝負は最初からやらない。試したいという気持ちが欠落しているんです。だって、武術の想定する勝負はDOA(デッド・オア・アライブ)ですからね。

 しかし、40、50過ぎても諦めきれずに試合で勝ちたいという思いを捨て切れない人の気持ちもわからなくはありません。それをアイデンティティーとして10年も20年も続けてきた人ならなお更でしょうから、何とか勝てるように工夫して教えていきたいと思ってはいます。

 もっとも、それは、早くそういう試合で勝つ快感からは卒業して欲しいという気持ちがあるからなんです。試合で勝つことにはスポーツ的な意義しかないし、ある程度の年齢に達したら、本来の武道の目的はそうではないということを後進に伝えていかなくちゃダメだと思うんですね。

 恐らく、試合で勝つことの強さを追求して武道や格闘技に取り組んでいるのは日本人だけではないか?と、私は考えています。

 海外のマーシャルアーティストを見ると、ほとんどが複数の流儀の混合されたスタイルをもっています。

 日本人の感覚からしたら「節操がない」となるでしょうが、戦いの強さを多角的に追求した結果として、そうなっていかざるを得ないのでしょう。

 一つの流儀ですべての戦闘状況に対応できる道理はないのですが、日本人はそれを考えません。近視眼的に「一番強い流儀はどれだ?」と考えて、それに飛びつくのです。

 何だか、宗教団体をハシゴして回っているみたいです。

 つまり、“信仰心”が先にたっていて、自分の見識を磨いて本質を追究しようとしていないのです。

 ほんの30年か40年前の武道家には、空手・合気・剣術・居合術・・・等の複数の流儀を研鑽する人が少なくありませんでした。

 江戸時代の剣術流派には、居合・柔術等を併伝するところが普通でした。

 現代ではまったく別物と思われていても、いろんな戦闘状況を想定して対応しようと考えると、自然に様々な種類の武術を学ばざるを得なくなる。

 私は試合に勝ちたいとは全然思わないのですが、オヤジ狩りや通り魔に遭遇した時は撃退できる技能を持っていたいと考えているので、それに適応した技を追究しているのですが、その意味でも、最も役立つのは何か?と考えると、“読み”しかない。

“読み”は、無益な戦いを避けるためであり、護身の究極としての“心の備え”になるものです。

 そして、自分の身を護るだけではなくて、人を助けることもできるし、生き方の指針にもなります。

“先を読む”から、それができる訳です。

 武術が最も世間一般に役立つものがあるとすれば、それが“読み”だと私は思います。

 人を読む。世相を読む。情勢を読む。時代を読む。世界を読む・・・。

 それが、“大の兵法”です。

 現在の政治の混乱っぷりも、結局、“読み誤り”が重なっているからのように思えますね。

 本来の政治は滅私奉公が基本でしょう。

 そこに私心がのぞくと、どんな大義名分を掲げても嘘臭くなる。

 麻生さんの不人気や東国原知事の国政進出への大ブーイングも、メディアが煽ったからと言っても、やはり、そこには権勢欲への私心がのぞいたからこそ・・・だったと思います。

 日本人は謙虚で誠実、嘘をつかない人間が好きで、大言壮語してハッタリをかます人間が嫌いです。私も自惚れたり勘違いして悟ったような言葉を口走る人間を見ると、いきなり顔面に平手打ちしたくなります。

 もっとも、私は、“実力が伴っていたら”大言壮語されても「おっしゃる通りです」と納得するのですが、麻生さんのド外れた漢字の読めなさと曲がった口(観相学的に嘘つきの口とされる)、偉そうな態度やものの言い方には嫌悪感しか湧きません。

 東国原知事に関しては、時々、出てくる生々しい野心や居丈高な態度が、普段の必要以上な謙虚さが慇懃無礼な仮面に過ぎないことを匂わせるので、最初から期待していなかったんですが・・・。

 まあ、そういう意味で、北野武って、何て優しい人なんだろうと思いましたね~。

 わざとギャグめかしてきついことを言うことで、東国原知事を助けてあげていましたよね。やっぱり、器が違うな~と思いましたよ。芸能界のトップにいるからこそ、逆に人気の本質が分かっているんでしょうね。

 ついでに、都議会選挙の民主躍進についても感想をちょこっと・・・。

 これは、民主党はこれからどんどんきつい立場に立たされることになる訳で、これまでのようには行かないですよ。

 総理になるのも鳩山さんでなくて岡田さんをたてた方がいいと思いますね。鳩山さんがなったら政治献金問題をいつまでも追及されて政治が進まないですよ。ちょっとアレは謝って済む問題かな~?という気がしますからね。

 まあ、それにしても・・・麻生さんは外さないな~。「それやっちゃダメでしょ?」ってことを必ずやるんだからな~・・・。自民党も既に死に体か・・・?


追伸;地元紙の相模経済新聞の取材を受けました。取材時に頂戴した号では柳生新陰流(小山将生氏主宰)の稽古会も紹介されていて、相模原近辺の武道クラブも色々と紹介されているのかも知れませんね。掲載紙が出たらお知らせします。

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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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