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自民党堕つ! 永き歴史が変わる刻・・・

 人間は、変わることに対する不安や恐怖を抱える生き物なんだと思います。

 絶望的な状況にいる人でも、いざ、その状況から抜け出していくのは物凄く精神的なエネルギーが必要なので、二の足を踏んでズルズルと救いのない状況に居座り続けてしまうもんなのです。

 昔、不登校だった人が大検を受けて高卒資格を取り、受験して大学生になり、彼女までできて・・・という時に、「君はなんで不登校していたの?」と聞いてみたら、う~んと首を捻って、「う~ん・・・何で不登校していたのか“わからない”」と答えました。

 多分、本心です。本当に理由らしい理由なんかないんですよ。

 彼は拒食症に陥り、ひどい時は30kg台にまで痩せ衰えて、寒い時期にはストーブの前にうずくまってウサギが震えるみたいにブルブルとしていました。

 でも、心の病が不登校の理由なのか?といったら、これも違うと思うんですよ。

「心が風邪をひく」という言い方があります。結果的に見れば、そういうことだったんだな~と思います。

「不登校の子供たちはナイーブな性格だ」・・・と決めつけてる専門家もいますが、私が見る限りはそうでない場合も多かったですね。

「協調性がないからだ」・・・というのも間違い。むしろ、過剰に協調しようとし過ぎてしまう子もいます。

 要するに類型的にワンパックにして、不登校種族みたいな“属性”を当てはめて論じたりしたいだけでしょうね。

 そもそも、「登校拒否は心の病なんだ。学校に行きたくても行けないんだから不登校と言うべきなんだ」と主張する専門家間の見解によって、登校拒否という言葉は「差別を助長する恐れがある」と、“不登校”と言い換えるように推進されたという経緯があったのです。

 私は、「そんなもん、どうだっていいじゃん?」としか思わないんですが、登校拒否と書いていると“無駄に誠実な人達”から「差別的ニュアンスの言葉を使うのはいかがなものでしょうか?」という“誠意溢れる圧力”がかかってしまうので、メンドー臭いから不登校と書いているだけです。

「大体やね~、“学校に行きたくても行けないから不登校”なんて、お前ら、本気でそんなこと考えてるの?」って言いたい。

 私は学校はあんまり好きじゃなかったな~。不登校生に聞いてみても、私が質問した全員が「別に行きたくないけど」って言ってたな~。だから、単に勉強嫌いで家でゲームやってる方が好きだっただけかもしれないよ。

 恐らく、学校の意味というのは、不特定多数のいろんなタイプの同世代の人間が集まって社会的なルールを守ることを覚えることに最大の意味があるんじゃないでしょうか。

 単に合理的に勉強させることだけが目的だったら、学習塾でも自宅でパソコンで学習するだけでも全然かまわない筈ですからね。

 それに、差別用語っていう意味なら、“義務教育”って言葉の方が差別的です。「教育を受けさせる義務がある」っていうのが、そもそもおかしい。

 私は学問は必要だと思いますが、それは義務として与えるんじゃなくて、“学ぶ楽しさ”を知らせることに意義があると思うんですね。

 義務として学問を・・・ってのはおかしいでしょう? だから、義務というのは社会のルールを教えることの方に力点が置かれているんだと思います。

 けれども、その点を弁えていれば、基礎的な学問は、社会で生きていくための最小限度のスキルを体得するためのものとして、家庭教育であったり自分で学んでいくものであったり、学校という形態にこだわらずに色々なケースを選べた方がいいと思うんですよ。

 コミュニケーションを学ぶ意味でなら、いろんなサークル活動によっても学べるでしょう?

 生涯教育という言葉があるけれど、それは純粋に楽しみとして自分で選ぶものであり、それは“義務”じゃなくて“権利”ですよね? 主体が自分にあって、“制度”ではないんです。

 学問をする楽しみというのは、自分が変わっていく楽しみなんですよ。

 私は武術を文化的な学問だと認識してやってきていますから、それを学び追究することで「変わっていっている」という実感がなかったら、つまらなくなって止めてますよ。

 普通の武道や格闘技だと、40過ぎてからは衰えとの戦いになってしまうでしょう?

 だから、やる気がしなかったですね。

「同じことを毎日繰り返すのが武道である」という考え方は、信仰心であって、稽古するのは自分が日々変わっていく過程を楽しむものである筈だと私は考えます。

 だから、“武術修行は日々の自己変革”だと私は理解しています。

 よって、義務的に練習こなしているだけなら自己満足でパチンコやるのと変わらないですよ。いや、景品もらえるからパチンコの方がいいかも?

 その気がなくても変わる稽古であれば、その気があったら、もっと変わる筈じゃないのか?と思って、私は日々変革する武術を追究してきた訳です。

 そして、変わっていくべき稽古法と、変えてはいけない稽古法があるという結論に至りましたよ。

 しかし、それはまた別の機会に・・・。


 どうも、原理原則として、変わることを本気で求める人は少ないものだと思う。

 居心地が悪くても、人は自分の慣れている環境や状況に適応したままでいたがる習性がありますね。よっぽど追い詰められないと、変化は求めないもんですよ。

 だから、民主党に人気が集まっているのは、それだけ自公政権が切羽詰まってしまっていることを反映していた筈ですよ。

 小泉さんにみんなが期待したのも、あの型破りなキャラクターに変革のカリスマ性を感じたからでしょう?

 誰もが彼を革命家だと見ていた訳でしょう。

 確かに違った意味での革命家ではあったかもしれません。“壊し屋”としての・・・。

 そして、期待を裏切られたと感じた国民は、さらなる変革を求めて民主党を選んだ。

 無論、民主党のマニフェストに対して財源が具体的でなく、抽象的な“無駄を省く”という論理ならぬ感覚的な“見込み案”を危惧する人も多いようです。

 でも、私は、民主党政権になってうまく行かずに紛糾することも含めて、今は変革すべき時期だったんだと思います。

 どうしてか?というと、自分たちの生活圏内が安定しさえすればいいと思っている日本人が、ようやく危機感を持って変革を求めたからです。

 熱狂するエネルギーがまだあるという点にこそ意味があるんです。それが無くなってしまったら、もうダメだもん・・・。

 要するに、今回の選挙は“ええじゃないか”ですよ。「一期は夢よ、ただ狂え!」で、お祭り状態になっても、それでいいと思う。

 今は失敗することを恐れずに変革すべき時期であり、国民がそれを選んで一歩踏み出した意味は凄く大きいことですよ。

 誰もが心の底では「民主党でも何でもいいから、この状況を変えてくれ」という気持ちでしょう。民主党のマニフェストに期待しているんじゃない。変えようとする意欲を示している点に期待しているんですよ。

 それにしても・・・何とドラマックな選挙だったことでしょうか?

 おごれる自民党がガラガラと軋み音をたてながら崩壊していく様子は、黒沢映画を観るように、むしろ劇的な爽快感さえ感じさせました。

 私は薬害肝炎問題で戦った福田衣里子さんが久間さんに勝ったことに国民感情が象徴されていたように思います。

 外交だ何だと天下国家を論じる政府より、虐げられた民衆の視点、生活者の観点を持つ政治であって欲しいという切実な声が、福田さんの「弱い者にも生活があるんだ。弱い者を切り捨てていく政治ではいけないんだ」という主張に共感し同調していったんだと思います。

 そして、もう一つ、公明党の現役党首が敗れたというのも象徴的です。

 今や、公明党が創価学会を母体とする宗教的理念を根底に持つ政党である事実を知らない人はほとんどいないでしょう。

 奇しくも、カルト宗教結社が世界を支配するという荒唐無稽な原作を映画化した『20世紀少年』が公開され、その内容に創価学会を暗示するようなテーマが囁かれています。

 あるいは、そこにも国民の拒否反応が出たのではないか?という気もするのです。

 創価学会が良いとか悪いとか言いたいのではありません。宗教思想に発する観念は政治とは区別されなければならないとする政教分離の理念に反するところに、拒否感が出たのでしょう。

 それは、公明党に追いつき追い越せと政治の世界にうって出た幸福実現党が、大々的なメディアを利用したキャンペーンを繰り広げたにもかかわらず、誰もが無視して取り合わなかった点にも自明でしょう。

 宗教は政治にタッチすべきじゃないんです。

 幸福実現党の過剰なまでの国防論には、終末思想テロに突き進んでいくきっかけになった、オウムの政治進出と大敗退を連想してしまわない訳にはいかないんですね。

 どうか、宗教とはどうあるべきものなのか?という点を考えて冷静に立つ位置を構えて欲しいですね。

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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
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