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『花のあと』は大傑作!

 情報誌なんかでも評価が高かったのですが、藤沢周平原作の時代劇『花のあと』を、橋本駅近くの映画館で、ようやく観てきました。

 何か、ここ最近、やたらに用事がたてこんでて忙しくってですね~。

 ウカウカしてると映画館で観逃してしまうことが多いもんですから、今回はサービスデイ以外に観に行きましたよ。

 結論から言うと、この作品は、一連の藤沢時代劇の中でも一、二を争う大傑作であると私は断言します! ドラマも美術も作品の隅々に至る所作の美しさも、そして殺陣も、すべてのバランスがパーフェクトに思えます。

 正直、ここまでの完成度だとは思っていなかったですね~。本当に素晴らしい!

 あの実写版セーラームーンでセーラーマーズを演じていた北川景子も、今や若手演技派女優のトップという印象がありますが、確かにデビュー当時から目ヂカラのある美貌は抜きん出ていて、正統派女優に育っていくんじゃないかな~?という気はしていました。

 吉永小百合(まぼろし探偵)も松坂慶子(ブースカ、ウルトラセブン)も特撮ドラマ出身だということはマニア間では有名な話。

 オダギリジョー以降、若手俳優にとっての特撮ドラマ出演は出世街道になっていますからね~。

 それにしても、北川景子の女剣士というイメージを見事に打ち壊す、物静かで慎ましい武家の娘という静の演技が実に素晴らしく、鋭く気迫が籠もったスリリングな殺陣シーンの動の演技とのギャップがまた、もう高倉健の任侠物みたいな感じです。

 別に付き合っていたのでもない、剣士として一度だけ手合わせして負けたという男が罠に嵌められて自決した・・・というその恨みを晴らそうとする、その心根は完全に誇り高き男の持つ感情であって、北川景子の“男気”に惚れ惚れするばかりです。

 なんかもう、桃太郎侍か必殺仕事人か?って感じ・・・。

『武士の一分』とか『隠し剣・鬼の爪』もそういう話でしたが、それらは“男”だから、ある意味、当然というべきでした。

 しかし、この二作の悪役って、なんか、あんまり悪い人に見えなかったのが作品として弱い点だったと思うんです。『鬼の爪』の時の緒形拳さんなんて、ちっとも悪人に見えなくて、何か可哀想に思えましたもん。

 が、この『花のあと』の悪役、市川亀治郎の陰険で卑劣なところったら、本当にヤなヤツだな~・・・って感心してしまうくらいムカつくヤツなんですね。

 北川景子の呼び出しに堂々と独りで来たと思わせておいて、相手が女独りだけと確認するや、潜ませていた三人の刺客に襲わせる・・・「うわっ、キッタネ~!」と思いましたね~。

 普通、こういう時は「この卑怯者!」とか罵倒しそうなものなのに、北川景子は一瞬、動揺した表情をするものの、次の瞬間には剣士としての落ち着きを取り戻して果敢に戦い、負傷しながらも三人を斬り倒します。

 そして、右手が使えなくなったら左手で刀を握って右肩に峯を置いて斬撃の準備をして亀治郎に立ち向かう・・・その堂々とした戦闘者っぷりは「お見事!」と声を掛けて「勝負は後日、また・・・」と言うのが武士の心得ってもんでしょうに、亀治郎は、ここぞとばかりに攻めて刀を打ち飛ばしてドSっぷりを見せつけてくれます。

 私は、てっきりここで許婚の才助が出てきて「実は拙者は夕雲流の免許皆伝で・・・」とか言うんじゃないか?と思っていたんですけど、戦闘はあくまでも北川景子演じる以登だけが独りで戦い、勝ち残るのです・・・。

 過去にも女剣士物の時代劇作品というのは『あずみ』とか、いくつかはありましたけれど、この作品のように日常的なリアルな設定の作品で剣術を修行した武家娘が活躍する作品というのはなかったんじゃないか?と思います。

 そして、この作品が大傑作となり得たのは、やはり、中盤の北川景子と宮尾俊太郎の“袋撓い”を用いた試合のシーンと、クライマックスの一vs四の死闘のシーンでしょう。

 私は『山桜』の殺陣シーンが凄く好きなんですが、惜しむらくは短かった・・・。

 しかも、あのシーンは東山君だからこそ見事だったという点もあるでしょう。

 正直、殺陣経験の無い初心者の俳優がどれだけできるのか?というと、期待するだけ無理があるでしょう。

 ところがね~、これがもう、物凄~い良かったんですよ~。北川景子はよっぽど頑張って練習したんでしょうね~。独りで剣術の基本型を稽古するシーンなんかでも、かなり様になっていたから、「これは期待できるかも?」と思っていたら、宮尾俊太郎との試合のシーンでは鳥居の構えを印象的に使ってみたり、リアルな中にケレン味のある芸も見せて、カンフー映画の攻防と剣道の激しさを融合したような実に見ごたえのある殺陣シーンでした。

 中でも、一通り、五分の攻防が続いた後で、宮尾俊太郎が下丹田に気を沈めるようにして撓いを構えて、北川景子が撓いをバシッバシッと打ち払おうとしても撓いが微動だにせず、打ち込む隙ができなくて焦る描写が実に効果的で、古流剣術の剣体一致の理合を描写してのけていたのは、殺陣を担当された高瀬将嗣先生の造詣の深さがうかがえました。

 藤沢周平の作品では、雲弘流とか法神流とか、かなりマイナーな流派が出てくることが多いように思うんですが、この作品の主人公が父から学んだ剣術は、夕雲(せきうん)流なんですよね~。

 私、甲野氏の道場に通っていた頃に氏の研究の手伝いした関係で夕雲流については結構、詳しくなったんですけど、この流派って、技は一つしかないんですよ。

 片手で刀持って額まで挙げて、相手が打ってこようとする先をとって落とすだけ。こんだけ・・・。

 つまり、究極の心法の剣術であって、技らしき技はないし、いろんな技の形を“畜生剣法”と侮蔑していたんですね。

 そして、この剣の極意に達した者同士は互いに打つに打てずに刀を天に向けたまま硬直したまま恍惚感に浸ってしまう・・・という“相ヌケ”という奥義になると説く訳。

 で、開祖の針ケ谷夕雲は、弟子の小出切一雲と、この“相ヌケ”になったから二代目を譲ったんですね。

 この時点では夕雲流は天下無双だったとされます。相手が打とうとする前にパシンパシンと先に打ってしまうから・・・。こりゃあもう、技量の勝負じゃないんですね。

 ところがどっこい・・・この天下無双である筈の小出切一雲が、弟子の真里谷圓四郎と二度、真剣勝負の試合をやって、二度とも負けてしまったからさ~大変!

「相ヌケにならね~じゃん?」と思いつつも、でも圓四郎の方が強いんだから三代目は譲るしかない。ここから夕雲流は滅びの道を辿っていったのです・・・。

・・・とまあ、こういう流派なんで、殺陣でどう魅力的に見せるのか?というのは、頭が痛くなってしまうと思うんですね。

 だいたい、夕雲(せきうん)流って読めなくて、「ゆううん」って読んじゃいそうでしょう? ヨロキンも『柳生新陰流』で、片桐空純(晩年の小出切一雲が名乗った名前)の襲撃を退けた時に、「そこもとの師匠の“ゆううん”殿が・・・」って言っちゃってましたよ。俺、「あっちゃ~・・・」って思ったもん。

 でも、流石、高瀬先生は夕雲流そのものは実態が解らないから、源流を探られたんでしょうね。夕雲流の源流は新陰流です。新陰流には神道流も入っています。

 従って、新陰流や神道流の特徴的な構えや太刀捌きをベースとして組み立てておられて、そこに殺陣特有の体の捌きと体転換、攻防の妙技を組み込んでおられて、本当に、よくぞここまで・・・と感動しました。

 私はこれまでいろんな殺陣を観てきましたけれど、これだけ武術的な殺陣にお目にかかったのは、ちょっと思いつかないです。

 どうも、最近は、とにかくリアルにすればいい・・・みたいな間違った風潮があったり、逆にケレン味だけで押し切ったりする殺陣ばっかりで、「アクションとしては面白いけれども殺陣としての魅力は感じられないな~」と思うことが多かったんです。

『たそがれ清兵衛』が画期的だったのは、やっぱり殺陣の魅力だったと思うんですが、『隠し剣・鬼の爪』だとそれが半減してしまったし、劇場版『蝉しぐれ』はもう勘違いしてしまっていました。

『武士の一分』は、キムタクの熱演で魅せたけれども殺陣のカタルシスには欠けました。

 そうした中で『山桜』の東山君の殺陣は孤高を保っていたんですね。でも、あまりに少な過ぎる・・・。

 そして、『花のあと』はリアルに“逃げず”、ケレンに“流れず”、堂々と殺陣の魅力を描き切ることに成功していました。

 高瀬先生は、以前の映画秘宝の連載中で、「殺陣は武道とはまったく別物です」と明記されていましたが、実際の殺陣の動作は極めて武術的な合理性のあるタクティカルな戦法を考慮して組み立てられています。

 つまり、知識が無くて感情的に否定しているんじゃないんですね。恐らく、相当に研究された上での発言だと思いますし、私もほぼ同意見です。

 ただ勝てばいいとなったら、もう、面白くも何ともないですからね。剣道や空手道の試合って、見てても面白いとは思わないでしょう?

 かといって、既存の様式化された殺陣のように主人公に斬られるためにかかっていくカラミばっかりじゃ、今どき、誰が見ても白けてしまう訳ですが、伝統だからという観念で工夫を怠る殺陣師もいるみたいです。それではエンターティンメントにかかわる人間として怠慢の謗りは免れないでしょう。

 この作中の殺陣で唸ってしまったのは、三人の刺客と対峙した北川景子が、“走った”ことです。

 走って三人の連携攻撃を崩した訳ですね。そして、チームプレイを分断して一人ずつ斬る・・・これ、複数の敵と戦う場合の鉄則ですが、案外、殺陣で表現されないんです。

 どうしてか? カメラのフレームからはみ出てしまうから・・・。

 TV時代劇の場合、予算と期日の関係から、立ち止まったままの主人公にカラミが次々と順番通りにかかっていって斬られるというお約束があるので、映画のダイナミックな縦横無尽に動きながら戦う殺陣を見慣れた人達が怒った・・・というようなTV時代劇草創期の話も聞きます。

『宇宙猿人ゴリ』を観ていた時、モグネチュードンと戦っているスペクトルマンが、モグネチュードンを投げ飛ばしてから、また“手元に引き寄せて”殴りつけているのを見て、私はハッと気づきましたよ・・・「そうか、カメラが一台しかなくてフレームから出ないように戦っているんだ・・・」と・・・。哀しかったな~。

 そしてまた、お約束として最もギャグにされるのが、「どうして主人公の後ろから斬りかからないのか?」というところ。日本の時代劇を見た外人さんの疑問の定番ですね。

 ところが、この死闘の最中、背後から斬りつけられて右上腕に傷を負うという描写もあって、それで片腕で戦ってピンチに陥る・・・という実にドラマチックな展開で殺陣がドラマを盛り上げていく訳ですよぉ~・・・。

 こういう燃える殺陣が最後にあるというのがバランス的にも最もいい。ストーリーがクライマックスの対決へと淡々と収斂していき、文字通りの死闘の果てに大逆転で悪が滅ぶという構図は、まるで革命が成功したかのようなカタルシス・・・。

 死闘直後に現れた才助が、放心状態の以登の短刀の血を拭い、傷の手当をして「後は拙者に任せて・・・」と送り出す飄々としたところも良かった。このキモッ魂の据わったところが剣の達人の親父殿に気に入られたところなんだろうな~と思わせます。

 スケベでいい加減な男に見えても、シチュエーションからして戦いの様子を最初からずっと観ていたとしか思えず、許婚のピンチにも助太刀しなかったのは、以登の性格をちゃんと理解していて独りで戦わせたということなんだろうな~?とか思ってしまいます。

 花見のところで待っていた才助に向けた以登の視線には、尊敬の色もあって、なるほど、この才助も藤沢周平の描く男なんだな~と思った次第。

 凛々しく気高く美しく、奥ゆかしいのに弱くはない日本女性の姿をものの見事に演じ切った北川景子の、この作品は代表作となるでしょうし、時代劇映画の中でのエポックメイキングになる作品だと思います。

 皆さん、この作品は観逃しちゃ、ダメ!

 現時点で、文句なく、私の中では今年の作品のベストです。


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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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