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日本武術最新最高のDVD『青木宏之 剣武天真流』ついに発売!

SPD-7605.jpg
http://www.queststation.com/products/DVD/SPD-7605.html

 2008年の暮れ頃だったでしょうか? 私が剣武天真流のプロトタイプたる青木宏之先生の居合術資料DVDを頂戴したのは・・・。

 その頃は、まだ天真流剣武とも剣武天真流とも名称が決定されておらず、また、流派として新たに興すかどうかも未定であるようなお話を聴いていました。

 それはともかくとして、1970年代から1990年代前半の頃にかけて、「日本武術の最高の遣い手は新体道創始者の青木宏之だ」という噂が武道界の中にあった、その生ける伝説であると同時に神格化されるほどの存在であった、その青木宏之先生と、まさか自分が武術界の裏話を、しょっちゅうお喋りしあうような関係になろうとは、夢にも思わなかった・・・というよりも、正に夢物語のような因縁なんだろうな~と思うばかり。

 そして、青木先生が居合術の研究をされていた、ちょうど同時期に、私も突如として居合術に目覚めて「日本武術の根本は剣、それも一瞬で死命を制する居合術にある」と宣言し、これまでの中国武術・日本武術・現代武道等々の武術研究成果を居合術の型の中にブイヤベースのごとく溶かし込む作業に没頭していたのも、不思議なシンクロニシティーを感じるのです。

「何で居合なの?」と疑問をぶつけてくる人は会員の中にもいましたが、私が居合術の理合を用いて素手の体術技法を実演して見せると驚愕の表情を見せていました。

 居合術の動きが、そっくりそのまま無刀捕りの技になっていたからです。武術というものは、理合さえ解れば、武器術も素手の体術も本質的には同じに使えるものなのです。そうならないのは、武器は武器、素手は素手と独立した技でしか考えないからです。

 居合術の流派として有名な関口流、伯耆流は柔術の流派としても有名でした。天然理心流の居合術も柔術と融合した技がいくつもありますし、現代居合道に繋がる土佐の無双直伝英信流にも柔術技法が奥伝にあります。

 日本柔術の影響を色濃く受けている現代武道“合気道”は、対剣術の技法を体系化したものと考えれば戦闘理論が明確に理解できます。有り体に換言すれば、“合気道は素手でおこなう剣術”なのです。

 それに、居合術は、腰(骨盤)のキレ及び体の捌きを養成します。私の求める武術的身法の核心を練り込むのに最も適しています。

 さらに言えば、“居合術は日本だけにしかない武術である”という点もあります。片刃で反りのある日本刀を腰間から一瞬に抜き斬る技は、交叉法と読みを駆使する武術理論に最適なのです。

「骨盤の動きを手先足先に伝える」という基本身法を持つ游心流にとっては、居合術こそが奥義足り得るものだったのです・・・。

 で、青木先生に頂戴したDVDを観た私は、断片的に工夫していた技が一気に結び付いて自己組織化していき、あっという間に九つの短い居合術の型(傑作武侠小説『笑傲江湖』の主人公の必殺剣をリスペクトし、一字変えて“独己九剣”と命名。まっ、パクリですな)を考案したのでした。

 つまり、游心流居合術“独己九剣”は、青木宏之先生創始するところの剣武天真流のアイデアを濃厚に受けて誕生したものであり、言わばフランケンシュタインの怪獣サンダの細胞が海で育ったガイラみたいなもの? あるいはゴジラ細胞を取り込んだビオランテ? いや、スペースゴジラ?・・・まっ、要するに、そんなような感じの剣法なんだと思ってもらえれば嬉しいですね。

 完成したのは私の方が早かったんですが、それは当然のことで、私はたった九つしか型を考案していないのに対して、青木宏之先生が工夫整理された剣武天真流の体系は、かなりの量に及び、礼法・抜刀・基本刀法・基本抜刀型・特殊抜刀型等で構成され、それは幻の究極奥義“相ヌケ”を顕現せしめた無住心剣・夕雲流の剣理を、新陰流兵法の体系で学ぶようにしたかのごとき厚みを呈しています。

 青木先生の凄さは、在来の日本の居合術流派のほとんどの映像資料を当たり真剣を使い潰すほどの苛酷な試斬を行い、齢70を越える自身の肉体を燃え尽きんばかりに酷使しつつ研鑽研究して得られたエッセンスを一つ一つ丁寧に体系化していった・・・という点にあります。

 確かに武術武道の世界には、70、80、90を越えてもカクシャクとして稽古されている師範もいます。

 が、その世代になって、まったく新しい流派を0から組み上げることのできた人がいたでしょうか?

 私はちょっと知らないですね~。

 しかも、観る人が観れば判ると思うのですが、青木先生の考案した居合術は、既存の枠組みを超越した型破りのものなのです。

 例えば、試斬に於いて太い青竹を、茹で上がったタケノコをシャクッと切るように無造作に力まず斬っていく“青木流試斬”の不可思議な光景は、試斬の専門家が観れば、「何で、アレで斬れるんだ?」と愕然とすること請け合いです。

 つまり、剣のセオリー(と思われている)を完全に逸脱しているにもかかわらず、なお一層の威力と術理がそこに顕在化しているのです。

 まさに、かつて“遠当て”の秘技をもって武道界の伝説を打ち立てた一代の奇才の名に恥じない畏怖すべき新流を生み出したのです。

 しかし、かつての遠当てを大看板としていた新体道と違い、剣武天真流は恐ろしく地味です。アピールすべき大看板が無く、“隠れ家的な名店”のような、通の人だけが理解し足繁く通う本物の味を愉しむ流儀の印象を受けます。

 そして、これは青木先生の人生のステージの変化によるものなのだろうな・・・という印象も受けるのです。

 率直に申しますが、新体道の武術性を一言で言うならば、“超殺法”でした。本当に一撃で殺す技を追及した中から誕生しているからこそ、新体道は“闘わない武道”になったのです。前衛舞踏もかくやの見かけは、武の本質の陰惨さを脱出せしめて生命の尊厳を天に問う姿として出現した、まさに現代の“無住心剣・相ヌケ”でした。

 愛無き者は武を求めるべからず・・・私がそう思うようになったのは、新体道の奥に秘められた超絶的なる殺法術に気づいたからでした。

 一般に、武道家が強さを求め続けるのは、人を殺す技も覚悟も無いからだと私には思われます。命をかけていないから強さに拘るのだと思います。

 死ぬ覚悟をしている者が強さを求めるでしょうか?

 新体道の目指した武技は、“真に効くかどうか”であり、それは換言すれば“一撃必殺”を求めた訳です。

 殺す者は殺される覚悟が必要。生きることは死ぬことを前提とする。それを自覚して生きるのが武の哲学であり、剣を常時携帯していた頃の武術ならば、それは当たり前のものだった筈です。

 当たり前というのは、しかつめヅラして他人に押し付けるものではないということ。

“たかが武術”です。

 そして、“されど・・・”と考えた時、今日、必要性がことさらあるとも思えない武術が秘め伝えてきた数多の可能性が発掘できるでしょう。

 私が剣武天真流DVDクエスト本社で直接購入したその日、神保町の高山本店にて、新体道の初期の本を発見して購入したのですが、店の方から「この本は、ちょうど、昨日、入ったばかりなんですよ」と、驚いたような顔をして言われていました。

 実は、お店に行く日が遅れたんですね。何とな~く、遅くなったんですけど、予定通りに行っていたら、ごくたまにしか行かないので、誰かに買われて、この本は入手できなかった可能性が高い。まさに呼ばれたとしか思えない。

 どうも、本やDVDを出せたのも、奇跡的な偶然が重なったりしていて、自分から動いてもうまく行かないのに、ふとしたタイミングで出せた・・・というのが結果も良好なのですね。

 私にとっては、最早、日常茶飯時に起こるシンクロニシティーで、「あ~、そうか。この本は俺のところに来たんだな~」と思ったものでしたが、よくあるんですよ。こういうことが・・・。

 それに、何と言っても青木先生が書かれた本なんだから、そりゃあ、霊的な意思も働くでしょうよ・・・。

 何? オカルト的? 違いますよ。天の働き、理法というものですよ。必要なものは必要な時に必要とする人のところへ行くもんですよ。天運に従って生きていれば・・・。そういうもんです。だから、出会いも別れも必然的なものであり、流れに任せるべき。



 さてさて、DVDの感想。

 もうね~・・・自分が関係している作品だから言うんじゃなくって、本当に、こんな素晴らしい武術DVDはいまだかつて観たことないです!

 同じ日に別の武術DVDも観たんですけど、もう比較するのも愚かしい。

 何か、得意満面に手足をピラピラ動かして「どうです。僕って凄いでしょ~?」みたいなナルナルな武術家?の内力の働いていない内家武術とか、頭痛がするような悲しい代物を見た揚げ句だったのも関係あったかもしれませんが、大井先生の心身一致、透徹した雄々しい動きの見事さと、“技の合理的説明をしない青木先生”のイメージを完全に払拭する青木先生の完全解説実演映像の中に、時折混じるシャレの効いたセンス!

 それに、技も動きもすべてが合理合法の原則に沿ったものでありながら、本当に自由で自在な応用発展性を秘めているのが判るんですよ。

「武術の技は最新最強であらねば意味がない」という言葉を裏付けるものなんですね。

 私は翌日の稽古で即刻パクりましたよ。公園の稽古。素手の拳法体術。そこに剣技のステップワークと入身、崩しの原理が容易に応用できるように工夫されているからこそ、剣がなくても素手の技にそっくりそのまま応用できる訳なのです。

 ちょこっと説明すると、相手の突きを掌腕で巻き流しながら入身しつつ手刀で崩し倒してみせた訳。これは、相手を掴んで固定しなくても動きの流れで相手の重心を誘導していけば勝手にバランスを崩して倒れてしまう・・・という原理を剣を掌法にして実演解説してみた訳です。合気道に於ける呼吸投げの原理ですね。

 剣武天真流は新体道よりずっと武術的用法が判りやすいでしょうね。術理が明快。合気道やっている人なら凄く参考になるでしょう。青木先生がそこまで言及して実演して見せたことって、これまでなかったんじゃないですか?

 そして、箱根のロケーションも良かった! 当日は予期せぬトラブルも起こって撮影隊は苦労したのを私も現場で見てましたからね~。それが、やっぱり演出の雨宮監督は凄いな~と感心しましたね。演武中に霧が生き物のようにサァーッと流れてくる所なんか、大自然がプレゼントしてくれた演出みたいで神秘的というしかありません。

 いやもう、単なる武術の一流派の紹介とか教材用DVDというんじゃなくって、何か、青木宏之先生のドキュメンタリー映画を観ている気持ちになってくるんですよ!

 正直、ここまで圧倒的に凄い作品になっていたとは驚きました。劇場公開したいくらいですよ。

 ある意味、「遠当てをやらない青木宏之の武術理論と思想」を紹介する作品なんです。

 コレって、つまり、いろんな宣伝戦略とか恣意的なものをすべて取り払って、リアルな青木宏之先生その人を紹介しているんですよ。

 良かれ悪しかれ、“遠当て”を前面に出したことが新体道の真価をめくらましすることになってしまっていたと私は思うのです。

 親しくしていただいている私から見ても、本当に青木先生がそのまま映っているんですよね。全然、作為的な演技や演出が入っていません。普通、ドキュメンタリー映画だって意図的な演出をしますからね。

 物凄い自然体。おおらかで、ゆったりとして、優しく、柔らかく、インテリジェンスとエレガンスを感じる。それでいて武術として物凄く鋭く力強くもある。低く落とした腰からドォ~ンと入っていく。無いのはドロドロした暗~い情念の闘争心だけ。

 多くの武道家は、日本の武道は苛烈な闘争心を鋭く叩きつけて鎬を削って精進していくものという信念があるようですが、それはやっぱり醜いんですよ。見てて気分が悪くなるんです。

 どうしてか? 野獣の闘い方だから・・・。

 人間は、他者を尊敬したり愛する心がある。それを捨てて単なる野獣の闘争心しか求めないものでは仕方がないでしょう。

 闘争心が生命力と結びついている分には必要性もありますが、過剰な闘争心は活性酸素みたいに我が身を傷つけてしまうだけです。それを昇華するのも武術武道の稽古でありましょう。

 闘争心をぶつけ合う武術は実を以て実を圧倒するやり方であり、最高の境地の武術は虚を以て実を受け流し自滅に導き、必要とあらば一瞬の実で粉砕するものです。そこには圧倒的な次元の違いがあって勝負構造そのものが別次元になっています。

 私はそれを目指していますが、それは具体的にそこに達している青木宏之先生にお会いしているから目標にできる訳です。

 剣武天真流は日本刀を使います。「日本刀を持ち歩く訳にはいかない。だから実戦的じゃない」と思う武術愛好家もいるでしょうが、違うんですね。

 武術修行の基本的目的は、身法と心法を磨くことなんです。技は二の次なんですよ。

 いや、真に効く技というのは、他人に教えてもらうのではなく、自分の内から自然に湧き出てくるものでなければなりません。

 肉体のみで殺傷力を体現することは至難の業ですが、日本刀という最初から殺傷力のある道具を用いることで、誰もが心身を飛躍的に鍛錬していくことができるのです。

 素手の武術武道しかやったことの無い人や、現代剣道の経験しかない人は、どうも目先の闘争に心奪われてしまって、命のかかった戦いへの心身の備えができない傾向があると思うのです。

 また、多くの居合術流派が形式に雁字搦めになってしまって、型の所作を追いかけるのに終始してしまい、本来の武術的闘争への順応性が見えにくくなっています。

 つまり、ほとんどの流派が形式の中に埋もれて最初から上限を決めており、その枠組みから一歩たりとて出ようとしていないのです。

 フルコンタクト空手が発展したのは、未完成だからこそ。空手の稽古システムが整備されていなかったからこそ、他流の技を吸収して発展させていくことができる。

 未完成であることは恥じることではないのです。武術は完成したと思った瞬間に死ぬのです。ゾンビ化した伝統はいずれ灰塵に帰するだけです。

 海外のマーシャルアーツが日進月歩し続けている点を“未完成だから”と蔑む人は、武の本質を理解していない愚か者と言わねばならないでしょう。

 新体道も剣武天真流も、恐らくは、今後ももっと発展して形を変えていくでしょう。それは枠組みを限定していないからこそ、0化された修行の“場”から自然に展開していく筈だからです。

 現在の日本武道界で、剣武天真流は流派を超えた武の理法を教えてくれるものであると私は断言します。

 だからこそ、是非とも、この日本武術の最高峰の武の姿を、一人でも多くの方に観てもらいたいと願っています・・・。

 繰り返します。これこそが日本武術最新にして最高の究極の武の姿であり、現代に蘇った無住心剣そのものなのです!
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追伸;仮面ライダー・ストロンガー、城茂役、超神ビビューン、月村圭役を演じられていた荒木しげるさんが都内で経営されているお店に矢嶋師範代に連れていってもらいました。「ああっ、俺の目の前にストロンガーが・・・ビビューンが・・・」と感極まって頭が真っ白になり、何を話したのかさっぱり覚えておりません。帰り道もボーッとして帰り、電車もボーッ、家についてもボーッとしておりまして、翌日、矢嶋師範代からアレコレと話を聞いてから、「あ~、そういえばそんな話をしていたな~」と思い出しましたけど、特撮ヒーローを演じられた役者さんというと、何か自分の人生の基本を教えてくれた師匠という感じがしますね。「役者として仕事しただけ」とクールに言う人もいると思いますけど、俳優という仕事をする人は、いろんな人に物凄い影響を与えているんですよね。本当に人間が選ぶ仕事の中でも最も素晴らしいものの一つだと思います。荒木さん、ありがとうございました!

追伸2;ただ今、本の原稿執筆中につき、しばらく、ブログお休みしま~す。セミナー感想をお送りくださった皆さん、ありがとうございます。いつもなら個別にお返事を書くところなのですが、申し訳ありません。今回はお返事はパスさせてくださいませ。また、酷暑が続いておりますので、皆様、水分と塩分の補給に御注意ください(Kさん、お中元ありがとうございました)。

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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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