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脱力が大基本2!

 友人の沖縄空手の先生のブログを読んでいて、「脱力だけではダメで、脱力パフォーマンスができてもそれだけじゃ闘えない」というような意味合いの意見を書かれていらっしゃいました。

 武道武術の一般論からすれば、これはまったく、その通りの意見だと思います。

「えっ? 長野は、この前、脱力こそが重要だって書いてたじゃん?」と思われた方も多いと思います。

 が、よく読んでくださいませ。

 私は、“武道武術の一般論からすれば”と但し書きを付けているんですね。

 私が提唱している脱力技法は、一般の武道武術で言われている脱力よりも、「もっと、もぉっと、フニャンフニャンに脱力するべしっ!」と言っている訳でありまして、多くの脱力系武道武術を提唱している方々の演武とか観ていてと、私の目にはカチンコチンに観えていたりする訳ですよ。

 よく見かけるのが、肘から先は力が抜けているけれど、上腕から肩が堅いとか、腕は抜けてるけど胴体が固まってるとか、脚が踏ん張ってるとか、顔が固まってるとか?

「この程度の脱力のやり方では、いざ実際に闘おうとすれば、たちまち化けの皮が剥がれて力に力で対抗してしまい、結果的にぶっ潰されてオシャカになるのがオチ! いっそ、筋肉パワーで火事場の馬鹿力出して叩き潰した方が賢いよっ」と言いたくなるのです。

 しかし、游心流では、「相手の加えてくる力を完璧に殺す。そして、こちらの重心力を百パーセント注ぎ込む」というのが理想の目指すべき勝負論です。

「俺の技がすかされて、気づいたらやられてしまっていたような・・・? う~ん、何で俺、負けちゃったの? ひょっとしてアイツ、妖術使い?」という具合に、負けた相手が首を捻って苦笑いしちゃって、戦う気が無くなるような勝ち方が“理想”なのです。

「何か、アイツに下手に拘わると宜しくないな~。苦手だな~」と、ヘヘヘッと苦笑いしながら帰っていってもらえると有り難いんですね。

 誰だって、自分が一途に打ち込んできた技をぶっ潰されてしまったら恨みが残るでしょう? だから、恨みを残さないために、相手に実力を出させないように仕向ける訳です。

 実力出せないまま、訳がわからない負け方すると、あんまり負けた気がしないんですよね。「俺が実力を出せていれば勝てた・・・」という、ちょっと残念でアンラッキーだったな~って感じで自分を納得させられるから、そんなにプライド傷つかないんですよ。

 私は空手も柔道も合気も中国武術もカポエィラもボクシングもムエタイもペンチャックシラットもシステマも忍法も・・・何でも好きです。それぞれを学んでいる人が「自分の学ぶ流儀こそが最高だ」と信じてやっていることも重々、承知しています。

 だから、競い合うのなら未だしも、優劣を論争し合うのって、不毛じゃないですか?

 どの流派も強い人もいれば弱い人もいますよ。長所もあれば短所もある。人間一人一人に個性があるのと同じですよ。短所を除いて長所を伸ばせばいい。それが修行でしょ?

 だから、「貴方が今、私に負けたのは実力差ではありません。私は研究家だから貴方の弱点を狙って、そこだけ攻めたから、今は勝てたけれども、正々堂々と闘えば勝てないですよ」と、私ははっきり言えるし、現実に言ってきました。

 無論、単なる舞い上がってるだけの相手には“愛の寸勁”で突き転ばせてやったりもしてます。でも、それは「舞い上がっちゃダメだよ~。身の程を知らないと俺のところだったから、この程度だけど、もっと気合の入った道場に行ったら、こんなもんじゃ済まないよ~」という教育的指導をしているつもりです。

 言うなれば、これが、これこそが、游心流の目指す“脱力技法”です。

 ケース・バイ・ケースで対応を変える。相手と状況に応じる。必要なら迷わず先手必勝にする。

 恐らく、私と会った人は、いろんな印象を持つと思います。「面白い人だった」「優しい人だった」「鬼のように怖かった」・・・とか。

 私は相手の態度で全然違う対応をしますからね。これも脱力の極意です。

 最初から相手に勝ってやろうという征服的意識じゃ使えないんですよ。そして、脱力技法の攻防理論を成功させるためには、読みと交叉法が必要となるのです。

 つまり、私が言いたいのは、「中途半端な脱力技法は使えない」ということです。

 よく見受けられるのは、相手と向かい合うまでは脱力できていても、動き出した途端に力が入ってガッシャンガッシャンと音がしそうなくらいギコチなくなってしまう人。

 あるいは、相手と触れ合ったり、攻撃しようとした瞬間にガチーンと筋肉が固まってしまう人。

 何故、脱力技法が演武パフォーマンスとしてしか駆使できないか?という問題点は、ここにあります。

 試合や組手になった瞬間に、相手の攻撃に潰されまいという無意識の筋肉反射で身体が緊張して固まってしまう・・・だから、脱力技法が使えなくなってしまうのです。

 私が、「身体の動きなんか考えるな!」と厳しく叱咤したりするのも、実にここに理由があります。

 実際に闘おうという場面で身体の動きがどうこう言う以前に、心が恐怖や不安で萎縮して身体の動きを統御できなくなることを知っているからなのです。

 だから、身法より心法が大切だと言っている訳で、心法とセットになっていない脱力技法は、それこそ使い物にならない訳です。

 脱力技法の優れた点は、「練習する必要がない」という点にもあります。

 ただ、日常生活の中で、意識して身体の部分部分に力が入っているな~と感じた時に、そこの力をじわ~っと抜いていく・・・ということをやるだけで、力を抜く脱力の感覚が磨かれていきます。

 ガムシャラに練習の量だけ積み重ねても感覚というのは磨けないのです。いや、むしろ鈍っていく危険性すらあります。

 最近、いくつか自分で疑問がわいた点もあって、集中的に特訓してみたり、また逆にまったく練習しないでいたり、いろいろと実験してみたんですね。

 そうしたら、特訓してもしなくても変わらないんですよ。私の場合は・・・。

 何でか?というと、恐らく、運動することの神経作用を運動しないで脳内で処理する機能が私の場合は完全に組み上がってしまっているので、頭の中で技のイメージを組み上げることで、結果的に運動したのと同じことになっている・・・のではないか?と思われます。

 つまり、完全に脳トレで武術の稽古ができちゃう訳。

 私が既存の流派をそのまま習おうとしなかったのは、いろんな流儀に一長一短があり、それらを組み合わせて、発展させていくべきだと考えていたからです。

 そして、いくつもの流派を学べば、細部は違っていても、大元のところで共通する基本原理というものはあるんですね。

 その最も大きな共通原理が“脱力”だった訳です。

 もちろん、友人の空手の先生が言う通り、大抵の場合、脱力技法はパフォーマンス止まりでしか駆使できない人がほとんどです。

 教える側が使えなければ、習う側が使える道理はありません。よって、脱力技法をパフォーマンスとしてしか使えない人ばかりが増殖してしまうのです。

 しかし、よく考えてください。現実に使えない技法が、いろんな流派で基本となっているものでしょうか? 基本として伝える以上は、伝えるなりの意味がある筈です。

 要するに、本来は使えるのに、使えないレベルに止めてしまって発展させようとしないでいる現状が問題なのだと私は考えました。

 実際、私も長い間、脱力技法をまともに実戦で使えるとは思えませんでした。パフォーマンスとしてやる分には、既に20代後半で大概の技はできるようになっていました。

 従って、実際に戦う場合はこの手の技は通用しないものだと思った時期もあります。

 けれども、40歳過ぎた頃から、少しずつ認識を改める出来事があって、ここ2~3年は、「脱力技法でなければ老齢になっても衰えない武術には到達できない」と確信を持つようになりました。

 つまり、“脱力技法で圧倒的な攻撃力と防御力を発揮できる”と確信できたからです。

 これは、「内家拳の理論は正しかった」という認識でもあります。

 別に外家拳がダメだの筋力を使うのが劣っているとか言いたいのではありませんよ。熊やゴリラみたいに常人の何十倍もの筋肉パワーが発揮できるのなら、それを使えばいい。

 しかし、「武術の達人に普通の人間が到るには、これこそが最も合理的だ!」という理論を構築できたと私は自信をもって言えます。

 具体的に言うと、“実戦で使える脱力技法”の研究が進んだということです。

 パフォーマンスはできて当然。その先にある実戦に通用する脱力技法はどうすればよいのか?という研究を、ここ数年、日曜日の公園での稽古で実験してきて、当初の目標水準に近づいた・・・という次第です。

 このようなアイデアを築けた切っ掛けとしては、新体道、合気武道、太気拳、太極拳、システマ等々、先人の研究があったからこそですし、武道武術以外にも、舞踊の世界や手技療法等の勉強も役立ちました。

 あるいは、若い頃に心理カウンセラーを目指して勉強した心理学や心理療法の知識も役立っているかもしれません。

 また、宗教学や神秘学も勉強したりしていましたが、これらも心理学と関連付けて、呪術とか黒魔術、錬金術、仙術(内丹・外丹・符呪)、ヨーガ、スーフィズム、カバラとかもいろいろ本を読んで研究していたものでした。

 これらのオカルト紛いの研究は、やっていた当時は自分の心の闇を広げるみたいで良くなかったのですが、今では他人のマイナスの感情を受けても受け流したり、逆に呪い返しにできたりしているので、あながち悪いだけでもなかったですね。

 考えてもみてください。

 2ちゃんねる掲示板等での私への攻撃は異様なまでの憎悪に満ちているでしょう? でも実際の嫌がらせはもっと酷かったですよ。私に成り済まして犯罪の濡れ衣着せようとして警察に訴えた人物さえいました(その後、嘘なのがバレて自業自得になったらしい。当たり前です)。

 普通の人間だったら、ノイローゼになったりして自滅していきますよ。

 でも、私の場合、攻撃されればされる程、活躍の幅が広くなってきてます。10冊以上、本を出したりDVDもシリーズで出ている。学会誌に記事を書いたり、アクションイベントで審査員頼まれたりしている。

 別に自分から売り込んだりしていないですよ。これって、変だと思いませんか?

 私に嫌がらせしたり攻撃したりしてきた人達の中には、一所懸命、自分から売り込んだりしている人もいましたが、うまく行かずに、その後、徐々にウダツが上がらなくなってきたりしています。

 何故か?というと、私に向けた嫉妬や憎悪の感情のエネルギーを、私が浄化吸収して自分の活動エネルギーにしてしまったり、あんまり酷い場合は呪い返しにしたんですよ。

 だから、私に嫌がらせし続けている人はエネルギーを吸い取られたり、逆にマイナスのエネルギーをそのまま返されたりして自分で自分にダメージを被ってしまった訳です。

 こう書けば、しつこく掲示板に私の悪口を書き込みしている人でも、ハッとすることがある筈です。

「人を呪わば穴ふたつ」と言いますが、呪いの精神エネルギーは相手に向かうのが半分で、残り半分は自分に反作用で返ってくるんですね。

 私はそれを知っているから、人を呪ったりしないように注意しています。“こんチクショーめっ!”と思っても、直接反応するのではなく、仕事に集中することで解消してきたんですよ。

 また、批判する時も愛情を持って批判するように心掛けています。これは、私の文章を文言に捕らわれずに全体を俯瞰して読んでもらえば、察知してもらえると思います。私は憎悪の感情だけで批判したことは一度もないんです。

 もし、憎悪の感情で批判していたら、私はとっくの昔に自分で自分の精神を壊して潰れてしまっていますよ。

 何故なら、批判意見を発表するということは、批判された側の恨みを買うし、商品価値を落とされた出版社からも危険人物視されますよね。

 私が武道系の専門誌に載らないのは、敵視、あるいは危険人物視されている証拠ですが、それは、そうなることも覚悟の上で批判意見を書き、その心意気を理解できる人達が支持してくれてきた・・・という訳ですね。

 こういうことを書けば、何か特別なスピリチュアルなまじないみたいな術を使ったのか?と思われるでしょうが、特別にそんなことはしていません。

 ただ、心理学と宗教学、神秘学をいろいろ調べていると、人間の意識のメカニズムが段々、理解できてきた訳です。

 なので、至って科学的に解釈して、物事が起こる時の前後の因果関係から心の働き、精神の作用、そして実際に起こった行動の意味を考えて、どう対処すれば事態を改善に向けていけるか?と考えて、自分にできる対応を戦略的にやってきただけの話です。

 そもそも、人間は、人知を超えた宇宙の働きといったものへの根源的な畏怖の感情を持つものです。

 前世の因果や悪霊が憑いているといった話をされると、それらの言葉の持つ畏怖の響きによって暗示がかかり、精神が支配されてしまうものです。

 けれども、これらは心理学や脳科学の領域ではかなり明確に解明されつつあり、遺伝子の研究によっても説明がつくようになっています。

 例えば、動物霊の憑依現象などは、前頭葉の働きがうまくいかずに小脳や脳幹が優位に働いて動物的な反応を理性で制御できなくなっている状態・・・と解釈できます。

 以前、霊能者という人から、「貴方は複数の厄介な邪悪な霊が憑いている」と言われたことがありましたが、しばらくしたら、「おかしい・・・普通の人だったら、とっくに取り殺されて死んでいる筈なのに、貴方は何か特別強力な守護霊がいるみたいだ」と言われたりしました。

 あのですね。邪悪かそうでないか?というのはどうやって区別するんでしょうね? 善悪は同じコインの裏と表みたいなものです。一人の人間の遺伝情報の中には膨大な生命体の記憶が残っている筈ですし、その中の一つや二つの邪悪?なものに支配されるほど、生命の歴史というのは薄っぺらじゃありませんよ。

 結局、やたらに恐れて不安と恐怖で自分の心を呪縛する自己催眠が問題なのです。


 さて、そういう次第で、身体機能と心理作用の関連を、私は昔から独自に研究してきて、それを武術にも応用してきました。

 もっとも、これは別に特別なことじゃなくて、30年40年前の武道家には、結構、研究している人がいた筈です。

 生きるか死ぬかということを真剣に探究すれば、そういう研究をするのは、むしろ、当たり前のことだと私は思っていますし、目先の強さばかり求める人達の近視眼っぷりにはヘソが茶沸かすってなもんですよ・・・。

 かなり脱線してしまいましたが、要するに、脱力することの意味は、身体と心を一体化して自然体で戦いに臨める度胸を養う・・・という効果がある訳です。

 だから、とにかく、力を抜きましょう。いや、こう言い換えるべきか?

 力を捨てましょう! 目先の効果を求めるテクニックや方法論に頼る気持ちは捨てましょう。

 捨ててしまえば真相が観えますよ・・・。


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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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